ご生誕のものがたり ~絵で読み解く新約聖書~(1)

聖書って読まれたことはありますか?

かくいう私も、旧約・新約を含めて「聖書」に書かれたことについては、長い間なじめませんでした。

ですが、“旅行添乗員”という仕事をしていると、「聖書に書かれた場面」が絵画作品を始め様々な機会に多く登場し、添乗員たちの頭を悩ませることとなるのです。

だから絵に描かれた場面や込められた意味や寓意・・・その理解を深めようと思うと必然、聖書の助けを必要とするのです。

今でも、私がヨーロッパ添乗駆け出しの頃(すっごい昔!)に買い求めた、日本聖書協会発行の旧約(イスラエルの民の歴史と神との約束)と新約(旧約を更に進めてキリストによる新しい約束)で一冊になったものを、食卓テーブルに付属した棚のところに立てかけて、本当に時々だけどページを開いてみたりするのですよ。

といっても、丸々一冊を通しで詠むことはあまりありません。

新約のうちの福音書(お弟子さんであるマタイ、ルカ、ヨハネ、マルコがキリストの生涯と奇跡を記述したもの)のページを、時々開きます。

でも何故、聖書の知識って必要?

それに聖書って何に役立つの?

では、例えばこんな絵からはじめてみましょう。

イタリアのフェデリコ・バロッチが描いた『聖母の訪問』という作品です。

フェデリコ・バロッチ 『聖母の訪問』
1583~1586年頃
聖マリア・バリチェラ教会 ローマ(イタリア)

どんな場面を描いているのでしょう?

ご神託によってご懐妊された少女マリアが、遠い親戚の老ご夫婦エリザベトとその夫ザカリヤを訪ねてやってきたのですよ。

ではどなたがマリアさんでしょうか?

ラピスラズリっていう当時では高価で鮮やかな群青の顔料を用いて、その外套を描いているでしょ?

この人がマリアさん。

そうしてお迎えしているエリザベトと、これから熱い抱擁を交わします。

背後から陰影のうちにエリザベトの夫、ザカリヤという人。

そうして、はるばるナザレから付き添ったお供の女性と、画中左端にはマリアさんの許婿(いいなずけ)のヨセフさんが荷を解こうとしているのですよ。

この絵が描かれたのは宝暦でいえば天正11年、つまり大坂城の築城が始まった年とほぼ同じくらいといえます。

欧州の芸術表現は、「端正・左右対称の均等のプロポーションに美が置かれたルネッサンスの時代」から、「対象をあえてゆがめ劇的な人体表現に重きが置かれるバロック表現」に移行していきます。

なんだかお芝居のハイライト場面のようでしょ?

でもあれ?

「聖書」を読んだことがある人なら、この絵を観た時にもうひとつ疑問が湧くはずなのですよ。

許婿(いいなずけ)のヨセフさんは「ご訪問」に付き添ったのか?

確か、少女マリアがヨセフのことを知らぬうちからご懐妊された時、平たく言えば「それは一体、だれの子じゃい?」って憤慨したはずですよ。

だから少女マリアが「謎のご懐妊」でエリザベトに相談を持ち掛けた時には、ヨセフは「どうしてやろうかい?」 って悶々としていたはずですよ。

そんなとき、ヨセフのもとにも神の御遣いが現れてこういうのです。

「恐れることはない正しき人ヨセフよ。マリアは聖霊によって神の子を身籠ったのだ。産まれてくるその子をイエスと名付けなさい。そしてマリアと産まれてくるイエスと共に暮らしを築きなさい」 。

ヨセフの、婚約者マリアに対する疑心暗鬼は氷解へと向かうのです。

だから史実に従えば、「ご訪問」の場面でヨセフさんがマリアさんに付き従ったかどうかは定かでない。

そうやって、キリストに纏わる美術に触れた時に疑問や補助を必要とするならば、その役割は「聖書」が負ってくれるのですよ。

だからキリスト教美術に対する眼差しは広がっていくと思うのです。

もう少し言えば、キリスト教を「宗教」という入口から入るからわかりにくくなる気がします。

キリスト教もイスラム教も、彼ら彼女らの日々の生活にもとづくメンタリティや、感性の根底や、エッセンスって考えれば少し理解しやすくなると思うのです。

【受胎告知①】

受胎告知ってなんだか言葉からして難しそう・・・。

少女マリアとは、ガリラヤという辺境のナザレという小さな町で生まれ育ったとても純朴な少女であったと、聖書はそう語ります。

そんな少女の元に天使ガブリエルがご神託を携えてこう申すのです。

「おめでとう。恵まれた人よ。あなたは神の子を身籠ったのだ。」

突然、こんなこといわれたら純朴な少女マリアはびっくりしちゃいますよね。

「ええ~?神の子を身籠りましたって・・・そんな私はまだ殿方すら知りませぬのに・・・」って。

キリスト史の中でも最大のハイライトである「受胎告知」

この場面は数々の名画を生みました。

1850年の作品です。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが描いた『受胎告知』

我々が欧州の美術館で観賞するあの「受胎告知」と比べると、随分と趣が違いますよね。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
『受胎告知』1850年
テート・ギャラリー ロンドン(イギリス)

実際、この作品はその評価において随分物議をかもしたのです。

伝統的な受胎告知の描き方からすると逸脱しているではないか!ですって。

つまりは、マリアの描き方がまるで世俗の少女然としすぎているではないか!ということ。

でも新約聖書の史実に従えば、少女マリアは何の変哲もない普通のご家庭のお嬢さんだったはずだし、神のご神託に恐れおののいたって出てくるではないですか・・・。

だったらロセッティの解釈の表現は決して間違ってはいないのだと、現代の我々から考えるとそんな気がします。

ロセッティはこの作品を制作するにあたって、フィレンツェの聖マルコ教会の付属博物館にある、フラ・アンジェリコ『受胎告知』からインスピレーションを得たといいます。

世俗的なこの表現は、ロセッティの妹であるクリスティーナをモデルにしたのだとか。

赤毛のクリスティーナが朝目覚めたばかりの場面を表現することで、純潔で繊細な状態を強調しています。

抑揚をおさえた色調と単純な構成が、一瞬時間が止まっているみたいでなんかいいんですよ。

《つづく》