パトラッシュと歩いたホーボーケンの小径(5)

あの名作劇場「フランダースの犬」の最終回をご覧になった方は覚えていますでしょうか?

日曜日の夜の「カルピス劇場」版(はるか遠い昔、NHK版もあったとの事です)の最終回は、1975年12月28日に放送されたとの事です。

『眠る二人の子供』ピーテル・パウル・ルーベンス 1612-13年頃 国立西洋美術館

主人公ネロ少年には夢がありました。

「いつか大好きな絵で身をたてたい!」

それでルーベンスみたいな巨匠になって、ダースお爺さんに楽をさせてやるんだ・・・でもそのお爺さんもいよいよ天に召されてしまいます。

遺された少年と一匹は、ついには家賃すら払えず住むところすら退去しなければならない状況なのですよ。

でも最後の・・・最後まで・・・ネロ少年はかすかな望みを小さな胸に抱いていました・・・

それは、

「アントワープの絵画コンクールにきっと僕の絵が入賞するんだ」

絵画コンクールの懸賞金さえ手に入れば・・・そんな最後の希望の灯は、クリスマス・イブの市庁舎の「絵画コンクール入選作品発表会」で無残に砕け散ってしまったのです。

雪のクリスマス・イブ、楽しそうに行きかう人々。

そんな喧騒とは裏腹に、やがて無常の夜の帳が少年と一匹を包み込みます。

全てを失い途方にくれた少年は、就寝の床から導かれるようにホーボーケンから市の聖母教会へと雪道を踏みしめます。

凍てつきそうになりながらも教会の扉に手をやると、

「あれ?扉が開くぞ。」

どうやら「クリスマス・イブの礼拝」が終わって、鍵をかけるはずの教会守が施錠もしないで帰ってしまったようです。

お堂の中の暗がりを壁伝いに歩んでみます。

少年にはずっとずっと見たいルーベンスの作品がありました。

『キリスト昇架』(1610~1611年 油彩/木材)という大作です。

その大作がこの聖堂に安置されているのです。

でもこの作品は普段は覆いがかけられており、特別な見学料を払わなければ見ることができなかったのですよ。

でもどういう事でしょう?

その覆いがなぜか揺らぎ始めるのです。

そうしたらさっきまで雪が降りしきっていたのに、窓辺から月光が差し込みます。

そしてルーベンスの『キリスト昇架』が神々しく現れるのですね。

息も絶え絶えの少年は冷たい床にうずくまります。

そうしたら背後から「ク~ン」って。

パトラッシュ!来てくれたんだね・・・ついに見れたんだ・・・ルーベンスの絵を・・・ほら。

やがて一匹と少年に天使が舞い降りてきて、ゆっくり、ゆっくり・・・お堂の丸屋根へと導いていきます。

この最終回には何ともいえない不条理を覚え、直視したくなかったです。

あの最終回で覆いが揺らぎ、そして月明りに照らされた神々しさと劇的さの中から現れるあの感じこそが、バロックの時代の芸術様式なのですよ。

ルーベンスの時代はプロテスタント(反体制派または新興商人階級)とカトリック(体制派または教皇派)に分かれ、その利権を争って久しかったけれど、バロック芸術とは教会離れの進む民衆をもう一度カトリックの教えに導く手段でもあったのです。

ネロ少年のように、聖堂の重い扉を開けて祭壇に進んだ時の、おごそかな中に神々しく劇的にダイナミックに表れるルーベンス作品。

現代のようにメディアが普及していなかった時代、そんな芸術作品を目の当たりにしたら、跪きたくなる衝動や静謐を心のうちに与えるでしょ。

バロック芸術とは、カトリック教会の政策のうちのひとつでもあったのです。

ルーベンスの生涯はザクッと63年。

その間、二回結婚し、子供にも恵まれました。

工房を構え、たくさんの門下(お弟子さん)が集いました。

ルーベンスが遺した作品は、油彩から素描からおおよそ2000点近くを数えることができるのだとか・・・

でもこの時代に、63年の生涯で2000点もの作品を一人の画家が描く事は不可能なのですって。

だからルーベンス工房作品は、時にはお弟子さんがルーベンス作品を模写したものも含まれるから、ルーベンスの筆が入った作品かどうかを知るのはもう不可能に近いのです。

例えば、我が国の国立西洋美術館が購入したルーベンス工房作品『ソドムを去るロトとその家族』(1620年頃 油彩/画布)。

この作品はどうやらルーベンスの筆は入っておらず、お弟子さんであるヤーコプ・ヨールダンス(1593~1678年)の作品であろうと考えられています。

そしてルーベンスとは、スペインの王室から遣わされる提督の片腕も担ったし、外交官でもありました。

だから他国の君主たちとも交わったし・・・であれば、相応の身なりや教養も兼ね備えていました。

富もあったし、名声もあったし、知性もあったし、まさに「勝ち組」の人です。

ネロ少年は、ルーベンスのそういったところに憧れたのです。

ただ単に絵の技巧がたつだけではなかったのです。

つまり、ピーテル・パウル・ルーベンス

油彩画(油絵)の技法、結実の人でもあったし、ネーデルランドの放つ最後の文化の灯を看取った人でもあったし、体制側の人でもあったのですね。

《パトラッシュと歩いたホーボーケンの小径 終わり》